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おそうじ本舗天満店です。与力町・同心のお客様、いつもありがとうございます。

2016/10/15

おそうじ本舗天満店です。

大坂三郷(おおさかさんごう)は、江戸時代の大坂城下、3つの町組の総称です。
北組・南組 そして天満組。

本町通を境に北組と南組に位置づけられ、その後、北組から大川右岸が天満組として分離しました。

天満より北や、難波・天王寺あたりの地域は含まれません。また、幕府役人の居住地や寺と神社の土地も大坂三郷には含まれません。大坂三郷は、あくまでも町人の住んでいる地域を指したそうです。

そもそも“天満”の由来とは。

菅原道真公が亡くなった後の平安京では、雷などの天変が起こり、落雷による死者まで出ました。
当時の人は菅原道真公の祟りだと思いました。

「天満」の名は、道真公が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真公の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来だそうです。

その菅原道真を祀る大阪天満宮から、天満の地名がつきました。

そして、江戸時代の大坂三郷に戻って。
大阪市北区のホームページから引用します。

天満組からは2本の重要な街道が北へ伸びていました。

一つは太融寺の東を抜けて北西に向かう中国街道。

中国街道は十三の渡しで中津川(現淀川)を越え、尼崎城下に通じます。
この道は現在の中津(大淀警察署付近)で北に向かう能勢(池田)街道と分かれます。
能勢街道は上方落語「池田の猪買い」に出てきます。

もう一つは天満宮の西を抜けて北へ上がり、長柄から吹田へ向かう亀岡街道。

現在の天神橋筋商店街はこの街道に沿って発展しました。

亀岡街道の東側に、寺町を挟んで与力町、同心町が設けられました。
東町・西町両奉行所のもと、市中取り締まりにあたる役人の居住地でした。

大塩平八郎の乱を起こした大塩平八郎は、大坂東町奉行組与力だったそうです。

今も与力町(よりきまち)、同心は大阪市北区の町名に残っています。

与力町、同心のお客様、いつもおそうじ本舗天満店をご愛顧いただきありがとうございます。
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